あぁ、熱き青春の日々よ、再び・・・・・。

私の机の周りを掃除していて、古い写真が見つかりました。勿論試合の写真もでてきたのですが、それではあまりおもしろくないので、こんな画像を紹介します。
これじゃあ、どこでも出そうなフォーメーションだね。
まずはこの写真を見てください。どうですか、5期〜6期生の諸君!多分これを見て歓声を上げていることと思います。フットボールって何?どこに行ったら練習出来るの?高校生で強い学校はどこ?こんな初歩的な質問に率直に答えてくれたのは”QBクラブ”。「今、高校フットボールで強いのは日大桜ヶ丘高校ですね。アメリカンフットボールの合宿でメッカは山中湖です。」・・・・・・。
単なるこの言葉で創部2目になり、ある程度人数の増えた我がクラブ(まだBEARS等というニックネームは誕生していない頃です。)は、鼻息あらく(私自身が・・・。)山中湖へ合宿に。
宿泊先は静香荘!グランドは京都大学ラグビー部と常に一緒で、使える場所は猫の額ほどのグランドしかなかった。それでも、異常に燃えていたのを覚えている。
とにかく練習試合をしたかったが、今考えると失礼極まりない弱小チームが当時の関東代表チームに胸を借りる形でお願いした。合宿に入り数日が経過した時、静香荘にお客さんが・・・・・。
部員の一人が『先生、日本大学の人が来ました。』と私に云ってきた。玄関出でると、当時高校3年生だった桜ヶ丘高校の主将が翌日の練習試合の日程について説明に来ていた。顧問の先生が来るわけでもなく、部員をよこすところなんて、実に失礼な話しである。でもよく考えると、そんな相手に素人の我々が試合を望む自体もっと失礼な話しである。当然、相手の日大桜ヶ丘高校の選手は1
霧がでてきた井戸前グランド。クリスクロスが一層効果的!?
年生チーム。上の写真は、当時の日体大から教わった5−2とワイドタックル6ディフェンス。いつどこでもゴールラインディフェンスを展開!LBは中を向き、これじゃあオープンサイドへはどうしたってパシュートは無理。怖い文無しの単なる精神修行のような合宿でした。右の写真はノーマルTオフェンス。ダイブ・オフタックル・パワーオフタックル・そして、クリスクロスとすべてがランプレーオンリー。そんな中で主将として私の凶暴な暴力指導に絶えた渡辺君(当時高校2年)、控えQBとしていい味を出していた磯部君、その後日本体育大学に進学し当時の東ソーボウルにも選ばれた関君、江戸取第2グランドで走っている最中に日射病で泡を吹いて倒れたところから、当時の仮面ライダーに出てきたカニバブラーと命名されてしまった桜美林大学に進学してスタートQBとして活躍した寿夫君、皆素晴らしい個性を持った選手ばかりでした。合宿最後には山中湖一周マラソン。合宿最後の日には、平野バス停前にあるジョイパティオでソフトクリーム食べ放題。と厳しい中にも思いで一杯の合宿でした・・・。(と俺が言っても仕方がないか。)そんな一体感の中、秋季大会では同じショットガンを繰り出す埼玉栄高校に圧勝。前へ前へと出てパスカットする積極果敢なDBチャーシューとFS武田君の活躍は印象的でした。でも、そういえば翌年1本目と同じ合宿中に対戦しボロ負けしたっけなぁ・・・。途中でスパイクのまま帰った早坂には涙が止まらなかったっけ・・・・。同時に立教QB佐子選手本当にありがとう・・・・。鎖骨折ってくれて。

たぶん、これはリアクションかな。まだ練習は始まったばかり・・。
次は、時代がちょっと過ぎて同じ山中湖ですが、静香荘から大富士荘へと変わります。でも、その間にニュー福寿荘での出来事など多分誰かがおもしろい写真を持っているはずですが、今は手元にないので10期生から11期生へ飛びます。たった1枚ですが、富士の裾ので繰り広げられた修羅場をご覧下さい。当時、跳び箱と称された渡辺君が3年の時の写真です。主将古橋君のスタミナは無限大。
写真のDEは内山君かな・・?当時合宿にはいつも内山観光バスを使わせてもらいました。本当にありがとうございました。”目的地までパーティー気分!”というコピーが妙に受けていました。一方渡辺君は1年生時の練習帰りに全身が攣ってしまい、軽トラックの荷台にどうやって寝かされてきたのか分からないけど運ばれてきた時に比べると明らかにパワーアップしこの年の春季大会を優勝して、さらに秋季も連覇をめざし、さらに厳しく練習した日々でした。この時期はパスオフェンスが吉田先生のもと導入され、江戸取もIとショットガンフォーメーションを併用してハイパワーオフェンスを確立し始めた頃でした。でも、全員練習着は白(といっても上級生になればなるほど泥だらけですが・・・。)良いねえ。高校生らしくて。でも、この年の秋季大会は伏兵浦和学院に敗退してシーズンを終了するというアクシデント。勝負の厳しさを知った年でした。

綺麗に使っていたあのころと比べると、今は・・・。
さて、内山観光バス(シャングリア)で思い出した写真を後一つ紹介します。それは部車です。アメリカンフットボール部のステイタスといえば、部専用の車を持つこと。当時、酸素ボンベ・スカウティング用のタワー・そしてスポッターシステムと、フットボールに必要な機材はすべて他校より先に揃えてきました。そこでその機材を運ぶための車が必要になり校長先生に決死の覚悟でお願いにいくことにした。周りの学校では体育科の貨物車をもつことは自然なことだが、そうした常識が成り立たないのが江戸取の常識(!)
しかし、新車の購入とまでいかなかったものの、中古車センターで見つけた極上のキャラバンを購入することが出来て、「江戸川学園取手高校」と記入し立派な部車に変身した。本当は学校名の下にアメリカンフットボール部と入れたかったのでが、そこまで、わがままは通用しなかった。でも、新車並みに洗車させ、出かけるときはいつもピカピカでした。(エッソのガソリンスタンド店員がいました。このころは・・・。)今は、この中古車を下取りに出して新車のキャラバンを購入してそろそろ10年になろうかとしている。でも、当時5〜6年もののオンボロキャラバンを綺麗に使っていたのと比べると雲泥の差。新車で購入したけど、そこら中ぶつかった後はあるし、中は泥だらけで汚い。こういうのを俺は一番嫌うのですが、何故かあまり部員に強くいえなくなったのは、ちょっと岡室先生に遠慮しているのかも・・・。

(その2)があります。